ぼくがぼくを嫌いな理由。
きょう。
無意味な睡眠。
無意味な起床。
無意味な食事。
無意味なネット。
無意味な昼寝。
無意味な食事。
今に至る。
これが休んでる?違うよな。
散歩でもしたいところなのですがまだまだ歩道には雪。いちおう春はせまっているようですが。
最近はネット、Twitterなどに依存気味。積読本の1冊でも読みなさいよ、というところなのですが。お布団に入り、スマホをいじって時間が過ぎます。無意味に時間を過ごしているようで、自分を責めてしまいます。自分を責めていたって、いつまで経っても良い方向には進まない、ということはなんとなく分かっているのですが。うーん。
とりあえずお話を変えて主題に。ぼくがぼくを嫌いな理由ですか。単純、怠惰と思えるからです。このテーマが浮かんだのは最近の体たらくからですね。何を為すこともなく、時間の過ぎるまま過ごす。そんな生活しか送れない自分に嫌気がさしてきまして。ほんとに病気なのかなと。この状況に甘えているだけなんじゃないかと。逃げているだけなんじゃないかと。
甘え。逃げ。こんな観念が主で生きてるのではないかって。こんな自分が嫌いだ。
でもそんな自分を背負ってでも生きていくのがヒトなんでしょうか。うーん。受け入れるというか。そんな自分もいるっていうだけで。真逆のような自分もいるかもしれませんしね。
そんな考えはできるのですが、正直、生きている意味、あるんでしょうか。春になったら雪と一緒に溶けてしまわないかな。
と、嘯く余裕はまだあるんですがね。
しかし、ぼくは意味を強く求める質があるようですね。意味ある生活ってなんでしょう。むかし読んだものにこんなことがありました。
人生の意味は自分でつかむものではなく、与えられるものだと。
人生の方から様々に意味付けがなされる出来事が降ってくるようなものですね。それを掴み、それに応えることで意味があらわれてくる。それが人生だと。と、ここまで書きましたが結構昔のことなので正確さに自信がありませんが、こんなことだったと思います。
だから、この生活にも意味付けがなされるときが来るんでしょうかね。
いま、自分に不満がある。この状況、人生から試されているんでしょうか。そう考えると少しは体が動かせそうです。
そして、自分と嫌いな自分を受け入れたい。
そんなところ。