140字じゃ足りないものたち

セイム シット、ディファレント デイ。

しんきんぐ

今日はいろいろな整理整頓タイムということでこのブログが発掘されたのであった。Twitterにブログのようなサービスが付与されるということでそれを待っていたがまあこちらでもよいかと久しぶりにキーボードを殴っている。

いろいろと振り返っているが、最近の特徴がはっきりとしている、というよりも自分が変わったことに動揺している。もちろん年数を経れば変わっていくものもあろうし、それは仕方のないことだろう。動揺、というのはこの変わり方でよいのか、ということである。

<考えなくなっている>

一昔前は、4,5年であろうか、そのあたりの自分が書いた何某をあさっていたのだが疑問に対して自分なりに考え何かを残していた記録がたくさん出てきた。今現在の自分からすると衝撃だった。別人である。そこで動揺しているのだ。ネガティブに捉えると堕落した自分がいるなと。単に数年で、体力が落ちるように思考力も落ちてきたのではと思う面もあるのだがそういうことではないだろう。

そんなことがあり、今の自分は寂しいものになってしまったなと悲しくなっている。わりかし単調な生活とはいえ何かしら、?、と疑問に思ったりするものはある。あるのだが、それ以上考えないことが多くなった。

なんというか、物事の複雑さを考えるのがめんどうで放り投げているというか。そんな感覚を覚えることが最近なぜか多く、これまた得意の不安を呼び起こしていた。

<また、考えよう>

目標を忘れていたのかもしれない。現状にわりと満足しており、このままでよいとなっていたのだ。それでもよいのだが、まだ頭の中にはこのままでいいのだろうか……と危惧または不安視している自分がいる。であれば、目標を見失っていただけなのかもしれない。なりたい自分がいる。そう思うとこの動揺、寂しさもアラートのようなものだったのかもしれない。

 

それでは自分をアップデートしていきたいわけだが、具体的にはどうするかということが肝要であろう。最近の自分は情報に対して無関心に近いようなものである。右から左に流すというか。そこである。アップデートとは言うものの一旦昔に戻ってみるのだ、一度情報を受け止める。ただネットの話題・情報などは上記のスルー体質でよかろう。感情論になりがちなセンセーショナルな話題が多すぎる。

 

では、何が適しているだろうと考えると本、書物ということになるだろうか。本であろうとセンセーショナルなものはあるというツッコミもあろうが、とりあえずは考えるネタとしては充分すぎる。はじめはもうこのくらい ↓ でいいと思う。

  • 本にさわる(マジで触れる、というだけの意味で目次見るくらいの感覚)

これしかできないほど、自分の考えるちから、というのは変わっている。

 

またやってみよう。最近の自分には満足していないという感覚にはなにか、こう、合っていると思う。昔のネタを掘り起こして再考するのもいいかもね。

 

 

そんな感じ。ブログは放置してたが140字では書ききれなかったのでなんか書いといた。

 

お わ り。