140字じゃ足りないものたち

セイム シット、ディファレント デイ。

きずつくこころはどこへゆく:いちNoLiferの場合。

ぼくはきずついた

パニック障害、うつ(双極的、はっきりはしていない)を発症して4年ほどになりましょうか。先日その4年間の中でも5本指に入ろうかという暗澹とした谷底への落下を経験してしまいました。滅茶苦茶に傷、いや心を穿ち、砕く一撃でしたね。

痛いよーかまってーなんて言っている場合じゃなかった。不眠不休でせっせと遺書を書きしたため等は昨日いいましたね。

今日も病院行ってきました。そしたらすぐ次の予約を入れられ。いや有り難いのですが。やはり要観察対象なようで。ソーシャルワーカーの方にも心配されて。いやはや申し訳ないと。昨日注射うって効いてくるまでは完全に俯瞰した視点が取れませんでしたからね、今になってこの状況いかに危ないか理解しました。ネジが外れている。いや壊れてる?、死を希求する人間を俯瞰しみてみると、というかそういう機会を持ちまして。昨日、今日と寝られませんでした。今日は遺書など書いていません。単に覚醒してしまって寝られなかったのです。ボーっと紹介して頂いた24時間体制で準備している精神医療施設を眺めながら、やはり、先日のトラブルに気が行ってしまうんですね。辛い、ただただその言葉が降ってきます。しかし明け方近くなると自己憐憫から憎しみに感情が変わってきます。

あいつのせいで。私の心は、壊れた!

他人のせいにし始めるんですね。傷ついたと。今だから、俯瞰できるからいえますが、私を貶めようとして言った言葉ではないので発言者を責める理由としては弱い、不十分ですね。ただ、傷ついたことは事実です。

NoLiferは逃げる!を選択した。

今回は他人へ受容を求めがちな私の傾向からトラブル回避のため逃げることを選択しました。一時的にです。医師との相談でもそのほうが良いという所に落ち着きました。過敏になっている感情を鎮めるために自分の殻にこもります。私にとってはこれがエネルギー充填の一番の方法であり、癒される方法なのであります。

具体的には1,2週間ほど家族とも最低限のコミュニケーションしかとらない、ということですね。

メリット

  • ストレスの低減
  • 緊張、凝り気味の心を落ち着かせられる
  • 自分の特徴的行動(自分について思案すること)を自由にとれる

デメリット

  • 引きこもり癖がつく
  • 喋らないので声が出なくなる
  • 社会性の低下
  • etc...(デメリットが多すぎるので割愛

デメリット多いんですが、本当に神経過敏なんですよね今。ですので、全力で逃げることを選択しました。薬が効くのをゆっくりと待ち、変な妄想(他人がすべて自分を敵視している)を消すために全力で逃げます。ここ2,3ヶ月の日記を振り返ると私がコケている原因は全て人間との接触によるものなんですね。なので逃げます。全力で。

じかんがたてば、もしくは気づいたらもどってきますよ

私は今、完全に人の言動が自分の否定、皮肉に聞こえてしまいます。なので逃げます。はい。

ただ社会性、この点については忘れてしまっては困るので過敏さが落ち着いたらすぐ戻ってきます。

戻ってきたらまた同じことで傷つかないかって?大丈夫、口は災いのもと、しっかり身に沁みこんできましたから。でも、感情的になりやすい性格なのでしばしば殻にこもることはあるかと思いますがね。最後にちょっとだけ、吐き出しておきたい。

 そんなんじゃ、社会でやっていけないよ

知らんがな。アンタと私の社会環境が同じなのか?

そんなアナタにこの曲を贈りたいと思います。

open.spotify.com

 

バカヤロウも言えない世界にしたいかバカヤロウ

それではまた逃げようと思います。

 

そんなかんじ。

 

いごこちのよい ぶろぐって

帰ってきたNo Lifer.

またこっちに帰ってきました。Bloggerにポツポツ書いていたんですが、なんかあちらは無機質で。

そしてまた最下層からのスタートなんですね。

 

sl09.hatenablog.com

 

このときよりももっと酷いですな。昨日というか今日徹夜で自殺企図をしておりました。遺書に血で捺印などしておりましてですね。ええ。

所謂ヤバい、ということで病院へ連れて行かれ。私の主治医は言葉を読解しわかりやすくしてくださる、その能力が抜群な気がしているんですね。

とまあ。来院する前の朝、口頭で述べることが苦手な私はWord等文書作成ソフトを利用しております。その大学時代の小レポートのようなものを読み要約してしまうんですよ。わかりやすく。そう、それ!言いたかったやつそれwと。

来院!

今回は孤独感に耐えられないということでした。その通りです。誰の言葉も否定・批判・皮肉に聞こえるんです。そして、自分の価値観を表明するとグシャグシャに潰されるんですね。そんな状態のところ、精神論・根性論の振りかざしにあいまして。やはり甘え怠け存在する価値はないと。希死念慮→自殺企図のコンボでございます。常に頭の中を甘え怠け存在する価値はない、という言葉が駆け巡り発狂しそうになりました。強烈な不安・恐怖感。

それで今日のところはじっくりと自分の価値について改めさせてもらい、薬の方も病院で投与して頂きました。抗不安薬とは言っていましたがおそらくホリゾンの筋注です。めっちゃ効く。わろろーん。困ったときのホリゾン筋注でございます。

まあなんとか薬の調整などもあり、そして本日の受診で死ぬことは免れました。死にたい気持ちとどう付き合っていくか、しばらく闘うことになりそうですね。

よろしくどうぞ

また行ったり来たりと渡り鳥のようになるかもしれませんが、とりあえず再開します。

よろしくどうぞ。

 そんなかんじ。

ぼくがぼくを嫌いな理由。

きょう。

無意味な睡眠。

無意味な起床。

無意味な食事。

無意味なネット。

無意味な昼寝。

無意味な食事。

今に至る。

 

これが休んでる?違うよな。

散歩でもしたいところなのですがまだまだ歩道には雪。いちおう春はせまっているようですが。

最近はネット、Twitterなどに依存気味。積読本の1冊でも読みなさいよ、というところなのですが。お布団に入り、スマホをいじって時間が過ぎます。無意味に時間を過ごしているようで、自分を責めてしまいます。自分を責めていたって、いつまで経っても良い方向には進まない、ということはなんとなく分かっているのですが。うーん。

とりあえずお話を変えて主題に。ぼくがぼくを嫌いな理由ですか。単純、怠惰と思えるからです。このテーマが浮かんだのは最近の体たらくからですね。何を為すこともなく、時間の過ぎるまま過ごす。そんな生活しか送れない自分に嫌気がさしてきまして。ほんとに病気なのかなと。この状況に甘えているだけなんじゃないかと。逃げているだけなんじゃないかと。

甘え。逃げ。こんな観念が主で生きてるのではないかって。こんな自分が嫌いだ。

でもそんな自分を背負ってでも生きていくのがヒトなんでしょうか。うーん。受け入れるというか。そんな自分もいるっていうだけで。真逆のような自分もいるかもしれませんしね。

そんな考えはできるのですが、正直、生きている意味、あるんでしょうか。春になったら雪と一緒に溶けてしまわないかな。

と、嘯く余裕はまだあるんですがね。

 

しかし、ぼくは意味を強く求める質があるようですね。意味ある生活ってなんでしょう。むかし読んだものにこんなことがありました。

人生の意味は自分でつかむものではなく、与えられるものだと。

人生の方から様々に意味付けがなされる出来事が降ってくるようなものですね。それを掴み、それに応えることで意味があらわれてくる。それが人生だと。と、ここまで書きましたが結構昔のことなので正確さに自信がありませんが、こんなことだったと思います。

だから、この生活にも意味付けがなされるときが来るんでしょうかね。

いま、自分に不満がある。この状況、人生から試されているんでしょうか。そう考えると少しは体が動かせそうです。

そして、自分と嫌いな自分を受け入れたい。

 

そんなところ。

なんだかんだで

今日も書いてます。今日もやることなくぼーっと過ごしていたわけです、が。やっと前向きな意識が湧いてきました。ちょっと浮上でごきげんであります。
落ち込んでも時間の経過、努めて深呼吸をしながら無思考に徹することで、浮上できるということを今回は認識できました。
しかし、ここで調子にのって前のめりなポジティブシンキングにはならないようにしたいです。ぼくは、あまりポジティブシンキングは好きではないので、よい傾向、として捉えていきたいと思ってます。
ちなみに、なぜポジティブシンキングが好きではないかと言うと、いつもポジティブシンキングにより前向きだと自分の心に嘘をつきストレス、疲れなどを適正に観測することができなくなっていたようなのですね、ぼくは。スタートダッシュしすぎてすぐバテてこけるという、お得意の芸です。
しかしです、長期的観点ではポジティブにありたいなあと。
そして、ポジティブシンキングな言葉を自己暗示的に利用し意識変革を図る方法もあると言いますので悪いものではないとは思っています。

話は変わって、空虚感、虚無感というのはやっかいですね。取り除くというよりは静かにこの感情を見守っていくしかないのでしょうかね。ぽっかり穴があいてます。空しい。楽しかったものが楽しくない。うーん。

とまあ、今日はそんなところ。

困った

困りました。

いつも紙に書いていることをブログにしようと意気込んでいたのですが、PCを目の前にすると書けないのです。今日は(明日もですが)することがこれといって無いので夕方からブログでも書こうかーとイスに座ったんですが。それから5時間ほどでしょうか、たまにネットをうろつきTwitterを眺めたりしながら今まで1字も書けず。また駆け足になりコケたパターンですね。ぼくの得意分野です。冗談はアレとして、ブログの更新頻度は少なくなりそうです。今日の5時間はいったい何だったのか。ちょっとストレスになってしまいました。ブログを書くことは、ストレス発散の一つになるかと思ったのですが。

まあ書きたい時に書く、を基本にしていこうと思います。病院へ行った時などはなるべく書こうかなぁと。ログとして。

そんなところ。

今日の診察と考え事

今日は診察日でした。といっても、つい4日ほど前に訪れているので今日はあまり話すこともなく。まず先日注射した安定剤は数日効いた感じある?といったお話で、ええっとまず疑問が。安定剤で数日も持つものあったの?って、というか詳細を聞いたのですが一歩踏み込めず、安定剤だよとしか教えてくれず…ベンゾ系の何かだろうなぁなどと思っているのですが、そんな長く持つのある?リスパダールでも打たれたのかなぁ。いちおう、酷い希死念慮は去っていったので効いたのかなと答えましたが。

しかしでありますよ、昨日ですね、感情のコントロールがきかなくなりまして突然泣いて混乱状態になったのです。医師からは短時間の混乱だし、泣く事自体が感情の発露で溜め込んでいたものの発散になるからと。確かに今日はちょっと落ち着きを取り戻した感覚がありますよ。でも人生初の突然、理由もない涙でしばらく呆然としてしまいましたが。

続いて薬ですね。いつものメイラックスとセレニカR、2週間ほど前から服用を始めたイフェクサーです。イフェクサーは今回増量となりました。75mgを1カプセルから2カプセル。

そしてぼくの焦燥感、仕事に早く復帰しなきゃという思いについてお話しました。単純です、焦んなくていい。そんだけ。共感もしてくれました。悲観的に捉えそう、言うのは簡単だよと内心思いそうになりましたが、信頼できる医師なのでそこは素直に意識を変えていこうと思うことにしました。

ほんで、また2週間様子見ていきましょーということで帰還いたしました。診察はそんな感じ。

 

次はぼくの考え事です。いわゆる思考垂れ流しですね。あと日記めいた何か。それか、感情の整理。正直なところ、うーん、なんともここらへんがブログにすべきか迷うところなのです。今まではノートにシャーペンで書き殴っていたものでそっちに慣れているからこう寂しいものがあるのです。とりあえず、しばらくは両方書いていこうとは思っていますが。

っと話がずれてますね、考え事書いていきます。

 まず社会ってなんじゃろなーと診察を待つ間考えたのです。よくいうじゃないですか、社会は厳しい、新社会人は覚悟しておけって。アレ自分の愚痴、辛さを投げつけてお前さんたちも同じ思いを味わえと言っとるんじゃないかって。ぼくは社会経験が乏しい*1のででっかい口叩ける身分ではないのですが、入り口に立った時にもっと良い言葉があると思うのですよ。社会はたしかに厳しいところだけども楽しいこともあるよって。というかまず楽しいことを教えてあげるよと言ってほしいなぁと。とまあ、言っても昨今の社会にはどんよりとした雰囲気を感じることは否めませんので楽しさがヘドロに埋もれてしまったのかなぁと。そんなことを考えてるうちに診察のお呼びが掛かりこの考え事はおしまい。でもうまいこと物事は運びたいですよねぇ。この社会の入口の言葉ってボトルネックになってません?いきなり詰まらせてどうするのよと思うのです。すみません甘ちゃんですね。もしくは馬鹿の考え休むに似たり。

とこんな社会、働くことを考えると休むことに集中できないなーとも思ったり。

このへんにしておかないとウツウツとした気分になるので。

あまり社会とかのことには触れないようにしましょうかね。感情吐露機になりましょう。

いつまで自分はモラトリアムしてるんだろうか。20代半ばを迎え未だに自我がハッキリとしておりません。なにを決めるにも他人任せだったような思いに駆られ。自分で人生作るということが想像できていないのです。達成感を味わうことが少なかったからなのかな。何かを成し遂げることの嬉しさ、それが欠落してるんじゃないか。どうしたら良い。

それでも良いのかな。自分を認める、受け入れることからはじめなきゃとどこかで聞いたような。まずその練習かな。開放感のある心を手にしたい。

 

ちょっと疲れたので(ぶんしょうりょくをきたえましょう)ここまで、そんなところ。

*1:新卒で入った会社でヘタって辞めており、同世代の労働者と比べ数年の遅れをとっている模様

現状

ブログはじめなので、まず現状のことをつらつらと。

まずは体調。いまぼくはパニック障害・うつを患っています。最近はパニック障害が良い方向へ向かってくれず、抑うつ状態が続いています。正直なところ心が折れかかってますね。はい。先日は心神喪失状態で母に促され、やっと病院へ行けたという状態でした。消えたい、その事で頭がいっぱいで。今のところ増量した薬が効いているのか、体を動かし駄文を書くくらいの気力は戻ってきています。

続いてお仕事のこと。今、随分とお世話になっている企業でのリハビリ?のようなバイトには戻れないようなのです。というか休めとドクターストップがかかりました。ホトケさまのような企業で、ぼくの主観的に、ですが病気に多分な理解があり、ぼくの病気の具合に応じて仕事をさせてくれる場所なのであります。悲観的なぼくは、いつまでこのホトケ対応が続いてくださるのか心配で。ホトケさまのような考えをお持ちである人事、経営トップの方々の病気への理解がとても、とてもありがたいのですが、ぼくとしては、早くその気持ちに応えたい、という焦燥を持っているのです。この焦燥がやっかいで。いつも駆け足になり体調を崩しているようなのです。今回もなのですが。(学習しましょうかそろそろ)とりあえず今は休む必要がありそうです。

日常生活ですが、空虚のひとことであります。一応現代のいち若者らしくゲームをしたり、アニメをみたり、読書したりといった生活を送っています。しかし、何をしていてもこんなことしてていいのか、などと考え集中できないのです。これら行っていることは、ほんとうに自分が好きでやっていることなのかと疑ってしまう日常です。転じて好きなことがわからないという事態に陥っております。「みんな」がしているから、「みんな」がみているから、「みんな」が読んでいるから、そんな動機で自分が動いているような気がしてならないのです。楽しいってなんだっけ。なんなんでしょうね。

休みつつ駄文をつらねるうちにその答えも見つかればよいのですが。

今日は、そんなところ。(たまに眠れない時は追加の記事を書くかもしれません)